
どの街でHound Dog Taylorを聴いても拾得を思い出すように、
このアルバムを聴くと磔磔で飲んだくれてた学生時代の自分に戻ります。
まあ、こんなかっこいバンドがいたらジェラスで眠れなかったでしょうけど。
ほんと京都っていう街に愛されている音が鳴っている気がします。
ぜひこの華なりサウンドを日本中に届けてやってください。

京都という街にどんなイメージを持たれるでしょうか?
寺社仏閣、舞妓はんに芸妓はん、碁盤の目&盆地、まあいろんなイメージが湧くと思います。でもその中で生活をしていると全然違った印象も受ける街なんです。例えば、伝統を守りつつも意外に新しいもん好きやったりとか、「ぶぶ漬けでもどうどす?」みたいなキツい人当たりと思いきや、すごくゆっくり話す人が多かったり、ラーメンが濃かったり。そんな要因として一つは学生の街っていう一面もあるからなんです。
学生の多い街だと自ずと若者文化が発展します。もちろん音楽も。70年代の京都は音楽の情報発信基地みたいなもんやったそうです。今年で40周年を迎えた日本最古のライブハウス「拾得」、来年40周年の「磔磔」を抱え、円山野外音楽堂のフェス、もう伝説の京大西武講堂まであったんですから、そりゃそうですよね。西武講堂ではフランク・ザッパ、XTC、ポリスやトーキング・ヘッズもライブしてるんです。凄いでしょ。その頃まで京都は日本の首都でした。
もちろんそんな街だからこそバンド、ミュージシャンも京都にはたくさんいました。「村八分」、「裸のラリーズ」、「豊田勇造」、「ウエストロードブルースバンド」数えたらきりがないです。
90年代、自分たちが学生として過ごした頃、首都は東京でしたが、まだまだミュージシャンが多い街でした。「騒音寺」や「Lucky Lips」は直属の先輩ですし、今でももちろんたくさんのバンドが日々いろんなところで音を鳴らしています。
自分たちが東京に出てから、「なんであんなに京都ではおっさんになっても毎月ライブ活動を続けていられるのか」という事象を考察したことがあったんですが、結論として「ゆるくて学生に優しい街」だからでした。大人になっても学生気分で音楽ができる、遺跡発掘のバイトは無くならない、ライブハウスにノルマがない、など細かく挙げればこれまたキリがないんですが、街が音楽に対して優しいんですよね。
例えば先に挙げた「拾得」や「磔磔」なんてライブハウスは住宅街の中にあって、リハーサルの音から外に漏れだしますから21時音止めというルールだけでご近所のご理解を得て40年続いてますし、1人からチャージバックがもらえました(今は知らんけど)。とび入りライブデーを作ってたライブハウスも多かったですし、客として行ってもチャージが800円とかでしたからね。演奏する方にも見る方にも優しかったのは確かです。だから自由にのんびりと自分の活動を続けて、個性のある音楽を生んでこれたんじゃないでしょうか。
さて、そんな街、京都で鳴らされる音楽とはどういったものなのか?ということで、ようやく本題にいかさせて頂きます。なぜこんなに京都の説明をしたかというとフジタさんに「自分では京都っぽさとかわからないんで、京都人としてレビューかいてもらえないですか」って言われたからです。文句は本人様に言ってください。でもこのアルバム「Good Luck」にものすごく京都を感じたのも確かなのでした。
まずこのアルバムを聴いての感想ですが、「ものすごく落ち着く」です。自分が慣れ親しんできた音や歌、雰囲気が詰まった新しいアルバムだなというのがファーストインプレッションでした。Dr、Gtrにユニコーンの川西幸一さん、手島いさむさん、BaにL⇔Rの木下裕晴さん、そしてKeyに伊東ミキオさんという慣れ親しまれたメンバーを迎えて作られたこのアルバムはほんとにずっと連れ添ったかのバンドサウンドでしたし、逆にそんなバンドだからこそできる歌の映えるアルバムでした。そしてシンプルでギミックのない空気を伝わる音が鳴っていて、ライブを聴いているかのような感覚を持てるアルバムだなという、バンドマンとしては非常に羨ましい作品だったからかもしれません。安心感とワクワク感を兼ね備えているな、とジェラスしました。
ではなぜ京都っぽさを感じるのか、それを一曲ずつ聴きながら自分でも考察したいと思います。
まず1曲目「声をくれ」、これは磔磔にライブを見に行って1曲目で聴くもんでしょう。「ショーが始めるぜ」って言ったはりますしね。楽器編成もわかりやすいですし。そんなことなかなか東京のバンド言わないですよ。米米くらいじゃないですか?あとあんなに爽やかなフジタさんが「イェ〜イ」と叫ぶ、普通じゃない事が始まる感、半端ないです。大学時代に「騒音寺」を見ながら得てた高揚感と同じものをこの曲で感じてしまうんですよね。この曲はあえて人のライブでも始まる前にヘッドホンで聴いて臨めば盛り上がる事間違い無しですね。
続いて2曲目「LET IT GO」ではやんちゃなイメージから一転、軽快な8ビートなんですが、8で刻むノリと4のノリが一曲の中に共存していて、メロディーを盛り上げています。サビのクリシェが爽やかなのにストーンズのシャッフルがストレートに自然に変わっていくっていう、京都人の大好きなアレのニュアンスが曲中にいっぱい散りばめられています。烏丸御池の交差点を颯爽と渡りながら聴きたいですね。
3曲目「カワイイベイビー」、ブギーが始まったと思ったらThe Who、エントウィッスルばりのブリブリベースが気持ちいい、男臭い一曲。カワイイとか言っておきながらディミニッシュとオルガンの音色でお茶目さを表現されている辺りがベイビーです。しかしこのシャッフルとブギー感と締めのギターのオブリが京都感出してますね。やっぱルーツにブルースがあるってことなんでしょうか。この曲は平安神宮の大鳥居のど真ん中で聴きたいですね。
4曲目「そうだ、今日は〜」、これまで3曲のロックスターの日常をもう出してしまっていいの?って個人的に思いましたが、こんな生活感をアピールできるところが憎いです。サビ後の追っかけコーラスが京都の大先輩「フォーク・クルセイダース」の「帰ってきた酔っぱらい」を意識されている事は間違いないでしょう。アコギの音も気持ちいいですし、この曲は動物園で聴きましょう。
さあ5曲目「レインレイン」、雨が2回続いたらそりゃバラードですよね。それが6/8ロッカバラッドなところが嬉しいんです。マッサージに行ったらなんにも言わなくてもあかんところをわかってくれる、あの感覚と一緒ですね。なんのこっちゃですが、ポストロックやリバイバルブームがメインストリームやった若造にはこれはできないですよ。哀愁のあるロックンロールです。清水の大舞台で雨に濡れながら聴きましょう。
6曲目「釣り糸を垂らして」、王道ロッカバラッドの次にくるこのフォーク感。先に出た「フォークル」や近所にお住まいの「岡林信康」さんを思い出しました。アコギ、アコーディオンの音色、リズム隊も最高やなと。このシンプルな曲にこれだけバンド感があるのが強みですね。地元、亀岡の田舎の景色を見ながら片手にビールで聴いてください。
7曲目「ヘイヘイヘイ!」、AC/DCが始まったかと思いきやバンドメンバーのカラーの強い、気持ちのよいおふざけ感のあるコーラスが印象的な一曲。しかしギターソロの音色も毎曲個性があって面白いです。後半に入ってくるカウベルの音まで全然耳に痛くないし、このアルバムは大音量で聴けると確信。祇園を闊歩しながら聴きましょう。
8曲目「魂の歌」、突然ブリティッシュなイメージで始まりましたが、やっぱり一筋縄ではいかない曲。でもこの曲はタイトルにすべてが集約されていると思います。終電の無くなった三条京阪で聴いてください。
9曲目「あの鳥のように」、頭のリバースからのスライド、「free as a bird」よろしくのナイスなドラムサウンドが印象的な名曲。左パンのドラムが右パンと合わさってステレオになるところでは毎回ゾクゾクしちゃいます。この曲はもちろん鴨川で寝そべりながら聴いてください。
10曲目「ひとりぼっちのそいつ2013」、最後はサービス的?なんですかね、セルフカバーで締められています。フジタさんにとって大事な曲で、このメンバーで再録されたいと思われたんでしょうね。気合いが伝わってきます。
というわけで、後半になるほど文字数が少なく、お酒も大量に入りつつ全曲を聴いてきたわけなんですが、スウィングしてる曲が多かったり、曲のルーツが見えて、その音楽にリスペクトして自分の血になっている楽曲が多かったり、まろやかないい音で収録されていて、100%歌詞を聴き取れる歌であるっていうところに安心感と京都っぽさを感じているんだという結論に達しました。当たり前の事を当たり前にやるんじゃなくて、やり続けているから当たり前になっていくっていう感覚ですかね、そんな強い意志を感じるアルバムでした。ぜひまた磔磔でライブを見たいと思いましたし、見に行きますね。こんな素敵なアルバムを届けていただいてありがとうございました。
さとうまさし
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